パリから北へ約50kmの場所に位置するメリュ(Méru)は、19世紀から20世紀にかけて真珠貝製のボタンや牛の骨を使用したドミノゲームのこまの製造が盛んに行われていた地。17世紀より始まったこの地元の伝統産業を保護し、その歴史を伝える目的で設立されたのが、今回ご紹介する真珠貝・タブレットリー美術館です。19世紀のボタン工場の建物を利用した美術館では、工房でボタンやドミノが昔ながらの技術で作られているほか、優雅で美しい貝殻工芸のコレクションが多数収められています。
タブレットリーとは、貝殻や象牙、牛の骨、黒檀(こくたん)、鼈甲(べっこう)などの自然の硬い素材を用いた工芸の技術をさすことばです。主としてボタンや扇、オペラグラス、ナイフの柄や櫛など、実用品であると同時に高級品であった品々が、このタブレットリーの技術によって作られていました。
メリュのタブレットリーの歴史は、数世紀前までさかのぼります。収穫を終え、しばらく手の空いたメリュの農業従事者の冬の営みとしてタブレットリー工芸がこの地で始まったのは17世紀のこと。やがて19世紀には、ボタンやドミノ製造によって、メリュのタブレットリーの産業は飛躍的に発展し、20世紀初頭に黄金期を迎えます。とりわけ貝殻を使用したメリュのボタンは国際的な市場で高い評判を得て、メリュの街は「世界的な貝殻工芸の都」とまで呼ばれるようになったのです。メリュだけでなく、メリュを含むパリの北部一帯の地域は、タブレットリーの産業が盛んで、真珠貝のボタン製造に関してはヨーロッパ一の生産量を誇りました。
しかし第二次世界大戦の頃、プラスチック製のボタンが大量生産されるようになると、貝殻ボタンの需要はしだいに減り、メリュのボタン製造にも暗い影を落とします。プラスチック製品は日用品だけでなく、高級品の世界にまで影響を与え、タブレットリー工芸全体が衰退の一途を辿ることになるのです。真珠貝・タブレットリー美術館は、このメリュにおける伝統産業が消えつつあるのを危惧した地元の人々の熱意によって生まれました。メリュで作られた製品の数々はもちろん、19世紀から工場で稼動していた機械類、そして産業に従事していた人々の知識と経験、技術が保存対象となりました。1970年代に始まったこの保存活動は、25年の時を経て形となり、1999年に現在のメリュの真珠貝・タブレットリー美術館が開館しました。
煙突のそびえる赤いレンガ造りの建物は、19世紀から20世紀にかけて操業していたメリュのボタン工場です。かつてはこの建物で、約100人の職人がボタン製造に携わっていたといいます。真珠貝・タブレットリー美術館はこの歴史ある工場の建物を活用し、その扉を開きました。美術館内ではドミノや真珠貝製のボタンを製造していた工房が昔ながらの機械とともに再現され、来館者はそれら工房の内部をガイドとともに見学することができます。また工房内の機械を動かす現役の蒸気機関や、かつて工場で稼動していたボイラーといった大型のマシンがメリュの街とタブレットリー産業の共存の歴史を雄弁に物語ります。
さらに緻密な貝殻細工の施された扇やオペラグラスなど、優雅で美しいタブレットリー工芸のコレクションも館内に豊富に収蔵されており、機械、技術、芸術と3拍子揃ったたいへん見ごたえのある美術館となっています。
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Update : 2015.9.1 文・写真 : 増田葉子(Yoko Masuda)
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