Français 日本語
フラゴナール香水美術館マダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
informations 3 2 1

隣の展示室では、香水瓶が年代順に並べられ、地中海沿岸部やヨーロッパで香水がどのように使われてきたか、その変遷がよく分かります。古代エジプトの細首のガラス小瓶や軟膏用の壺(エジプト中王国)、テラコッタ製の壺(紀元前3000-1085年)は、香水がとりわけ宗教的に使用されていたことを示しています。香水は、神々との交信を助け、軟膏、没薬、香油を使った防腐処置の儀式によって死者を神々のもとへと送り届ける役割を担っていたのです。

テラコッタの軟膏壺(紀元前600年頃)や、銀色の陶器の香水壺(紀元3世紀)からは、香水がエジプトから海を渡ってギリシャへとたどり着いたことが分かります。ギリシャでは身体崇拝の登場を背景に、香水は医学や身体衛生の分野で用いられるようになります。古代ローマ時代には、入浴やボディーケアの習慣とともに、香水は化粧品として発達します(半透明の虹色ガラスのフラスコ、紀元2-3世紀)。

わたくしたちの想像に反して、中世では身体衛生が重要なものと考えられ、香水はもっぱら疫病から身を守るために使われていました。例えば、写真の卵形のポマンダーのように、香りのするものを小さな瓶に入れてベルトや首にかけていたのです。

ルネサンス期、香水は体臭を隠すためのものでした。そのため、とても強い香りが使われました。イタリアで香水がとても流行したので、グラース地方では、香水の原料となる植物の栽培が盛んになりました。そして、自然回帰の傾向が高まると、18世紀にはより繊細な香りが登場します。暖炉の右側の展示ケースには、魚革の旅行用品入れ(オーデコロンの瓶、はさみ、鉛筆と小さな手帳が入っています)と、マウスケア用品入れ、つけぼくろやほお紅の入った容器、女性が気絶したときに男性が気付け薬として用いるヴィネガー(酢)を浸したスポンジの入った容器などが展示されています。

19世紀には、新しいテクノロジーの発達により、香水製造のあり方は一変し、大きな発展を遂げてゆきます。大きな展示ケースには、国王ルイ16世の甥ベリー公(1778-1820)が、妻のエミー・ブラウン(1783-1876)に贈った豪華な旅行用品セット(豪華な装飾を施したたくさんのガラス瓶やピッチャーが入っています)をはじめ、この時代のさまざまな化粧用品が展示されています。

そして20世紀、香水はますます夢のある存在となり、ひとりの人間のイメージを高めるのに寄与するようになります。1913年には、偉大な服飾デザイナー、ポール・ポワレが香水を女性のファッションと結びつけました。1925年にはシャネルも、かの有名な「シャネルNo.5」で先例に倣います。ショップへと続く廊下の壁には、たくさんの香水ラベルが展示されていて、なかにはマスカラを発明したことで知られるパフュームリー(調香師)、リンメルのコレクションもあります。フランスの香水ラベルには、フランス人の好きな花スミレがよく使われています。また、厚紙製のおしろい箱や、口紅の型、大きさや形もさまざまな口紅容器も展示されているので、よくご覧になってみてください。

Update : 2015.4.1

ページトップへ

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。