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ブレガンソン城塞マダムの連載の一部(10館)が本になりました。 バックナンバーを読む
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波乱に満ちたブレガンソン城塞の歴史は、皆さまのご興味を引くに違いありません。難攻不落で戦略的な立地条件を備えたこの地は、古くはローマ皇帝が目をつけたほど。フランスの長い歴史の中で、つねに沿岸防衛という軍事的役割を果たしてきました。この城塞に初めて軍隊を配備したのは、13世紀、シチリア王カルロ1世(1227-1285)です。その後、プロヴァンスの勢力を警戒したフランス王ルイ11世(1423-1483)が武装解除しましたが、フランソワ1世(1494-1547)によって再軍備がなされました。

16世紀になると、リシュリュー卿が、ギーズ公の助力を得て、海賊と戦うために城塞の防衛体制を整えます。フランス革命後は国家の所有となり、ナポレオン=ボナパルト(1769-1821)が1793年から1794年、イタリア遠征の際に滞在し、23の大砲を含む強力な軍備を配します。以降、第一次世界大戦まで、この地は軍事的な城塞として機能し続けますが、1919年、その役割を終えました。その後1924年に「景勝」に指定され、1963年までは個人に賃貸されていました。ド・ゴール将軍がここに一晩滞在したのは1964年のことでした。将軍はここを共和国大統領官邸とすべく改装を命じますが、自身は蚊に悩まされた経験から二度と城塞を訪れることはありませんでした。そもそもド・ゴール将軍は政務第一、ヴァカンスを好まない政治家だったのです。1968年、島と城塞は歴史的建造物に指定されました。

ふたつの印象的な塔の間にある城塞のポーチに着くと、跳ね橋や落とし格子戸、銃眼といった防衛システムで城塞が護られていることに気が付きます。それから、花々が咲き誇る日当りのよい美しい中庭に出ます。ここには、セビリアにあるスペイン王室の宮殿アルカサルの中庭のモチーフを模したスペイン産の敷石が配されていて、重厚な白い建物と素敵なコントラストをなしています。

右翼は招待客、そしてパリの大統領官邸エリゼ宮の従業員専用スペースです。従業員は大統領と一緒に移動します。大統領の滞在する棟の大改装が行われたのは1960年代のことですが、歴代の大統領夫人たちによる優雅で洗練されたリフォームは、最近まで続けられているそうです。

ヴァカンス用の邸宅ですから内装はいたってシンプル。特筆すべき家具はありません。見学者は正面ホールから中に入りますが、置いてあるのは、本棚として使われている大きな食器棚と花柄の布を張り白くペイントした木製の肘掛け椅子のみ。このホールには大統領への贈答品もいくつか飾られています。例えば、壁にはチュニジアのブルギーバ大統領(1903-2000)からデスタン大統領(1926-1974)に贈られたカルタゴのモザイクの複製が掛けられています。右手には、2013年12月サウジアラビア国王からオランド大統領に贈られた美しいサウジの野営のマケット。砂漠の男たち、ヤシの木、海賊など細部まで非常に繊細に仕上げられています。花の絵で有名なピエール=ジョゼフ・ルドゥーテ(1759-1840)の、果物を描いた水彩画もご覧になってください。右手奥の部屋には、大統領に付き従う将校の小さな事務所があります。

控えの間は丸天井の暗い部屋です。小さな食堂に作り替えられていて、家族の私的な空間になっています。ウジェニー皇后旧蔵のリモージュ焼の皿とともに食器一式が置かれています。花柄の布はシラク大統領夫人が選びました。

白と金の板張りの礼拝堂のサロンには、小さな窓から外光が入り、この部屋が礼拝堂であるということを思い起こさせます。ポンピドー大統領(1911-1974)と夫人はここにとても現代的な家具を置きましたが、デスタン大統領はそれを運び出し、ルイ16世スタイルのもっとクラシックな家具に取り替えました。現在ここに置かれているのはその家具です。緑とバラ色の花柄のカーペットが家具を引き立てています。ローテーブルには、2012年にレバノン共和国から贈られたチェス盤が置いてあります。

Update : 2015.6.1

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