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シャアリ修道院
Chers Amis

今から一年前の「バラ祭」の季節、わたくしたちはシャアリ修道院を訪ねました。この修道院が佇むのは、パリから北へ40km、中世の面影を残す小さな町サンリスへの街道沿い、エルムノンヴィルの森の外れ。お向かいに、ラ・メール・デュ・サーブルという遊園地があるところです。
▲シャアリの古城と聖堂。
©A. de Montalembert
▲シャアリ修道院のバラ園。
©Virginie Potdevin /Institut de France
▲シャアリ修道院のバラ園。
©Jean-Baptiste Leroux / Institut de France
修道院のバラ園では、多くの花々が今を盛りと咲き誇っていました。一年でもっともいい季節に訪れたせいでしょうね、わたくしたちはこの修道院の魅力を存分に堪能することができました。バラの種類の豊富さ、繊細な香り、そして上品な色彩……。花の女王「バラ」へ捧げられた類い稀なオマージュである「バラ祭」を訪れた、わたくしたちのこの感動、皆さまと分かち合うことができないでしょうか。
   
2008年の「バラ祭」は6月6日、7日、8日の3日間にわたって催されますので、是非、訪れてみてください。お探しのバラがあるなら、たとえそれが珍しいものでも、ここでならきっと見付けてお求めいただけるに違いありませんわ。イベントの今年の顔役は、かの有名なデザイナーでバラを愛するピエール・カルダン氏。彼曰く、バラは「女性、愛、美、そして若さの象徴」ですって!
2008年の「バラ祭」のポスター
▲2008年の「バラ祭」のポスター。
   
1965年に歴史的記念建造物に指定されたシャアリの領地は、素晴らしい魅力に溢れた場所。庭園には12世紀の巨大なシトー会修道院の廃墟があり、ジェラール・ドゥ・ネルヴァル(1808-1855)など19世紀の詩人たちを魅了したロマン派的な趣きを留めています。また、修復間もない、プリマティッチョ(1504-1570)の見事なフレスコ画がある聖堂のほか、かつての古城も残されていて、今ではネリー・ジャックマール=アンドレ(1841-1912)の豊かな美術コレクションを収めるミュゼになっています。
 
シャアリ修道院は1137年、フランス国王によって建てられ、シトー修道会に与えられたものです。当時、もっとも豊かで重要な蔵書を有する修道会として、その名をあまねく轟かせました。
  ▲修道院跡と聖堂、古城からなるシャアリ修道院。
©Georges Fessy / Institut de France
  ▲プリマティッチョの壁画のあるサント・マリー聖堂内陣。
photo : François Poche ©Institut de France
     
ファサード裏のフレスコ画《受胎告知》(部分)
▲ファサード裏のフレスコ画《受胎告知》(部分)。
photo : François Poche ©Institut de France
ルネサンス期には、フランソワ1世(1494-1547)が、イタリアの高位聖職者である枢機卿イッポリート・デステ(1509-1572)をシャアリの修道院長に任命します。芸術を愛したイッポリトは、イタリアの芸術家たちの力を借りて、修道院に手を入れました。こうして、プリマティッチョが装飾を手がけたチャペル、建築家セバスティアーノ・セルリオ(1475-1554)による鋸壁とバラ園の門などができました。
18世紀に入ると、大規模な工事が始まりました。新しい修道院を建てる一方で、中世の建物群が取り壊されることになっていました。しかし、フランス革命によって修道院はまったくの廃墟と化し、1793年に国有財産として売り立てられることとなりました。この地が救われたのは、1851年、パリ上流社会でその名を知られたドゥ・ヴァトリー夫人(1802-1881)の手に渡ってからのことでした。チャペルのフレスコ画は在りし日の姿を取り戻し、庭園は手入れされ、折々に夫人がお迎えした客人をもてなすのに相応しく、18世紀の修道院は城へと姿を変えました。
▲シャアリ修道院のバラ園。
photo : François Poche ©Institut de France
   
▲シャアリ修道院の庭園。
photo : François Poche ©Institut de France
そして、1902年に再び売りに出されたこの地を手に入れたのが、ネリー・ジャックマール=アンドレでした。その8年前に亡くなった彼女の夫は、裕福な銀行家で芸術をこよなく愛したエドワード・アンドレ(1833-1894)です。エドワードはパリのジャックマール=アンドレ美術館に収められている美術コレクションを築きましたが、彼の死後も夫人はイタリアやエジプト、インド、ビルマへ旅するごとに、多くの作品を購入し続けました。そして、1912年に夫人がこの世を去ると、その財産(パリの美術館とシャアリの領地)はすべて、フランス学士院に遺贈されたのです。
 
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