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ファーブル美術館
▲グリフォンのギャラリー。
©RK le STUDIO
<グリフォンのギャラリー>まで進まれたら、その前で足をお止めになって。天井のあまりの高さに圧倒されながら、ふと目線を上げると、そこには半鷲半獅子の獣が描かれたフリーズが。これは、ファーブルが特別に注文して作らせたものだそうです。このギャラリーでは、フランス古典主義を代表する巨匠プッサン(1594−1665)やブールドン(1616−1671)をはじめ、17世紀の絵画のさまざまな潮流を見ることができます。ギャラリーを出たところにある狭い通路は<美術愛好家のキャビネ>と命名され、ファーブルやヴァルドー在りし日のように、彼らのコレクションが飾られた場所。このミュゼが創られる以前、美術品が飾られていた様子を彷彿とさせ、わたくしはとても心惹かれました。
   
かつてのファーブルの寝室には、スペインの巨匠スルバラン(1598−1664)の傑作が2点掛けられています。一枚は、子どもらしい、神秘的なやさしさが表された≪大天使ガブリエル≫(1631−1632頃)。もう一枚は≪聖アガタ≫(1635−1650頃)。身体を傾け、切り取られた自分の乳房を載せたお盆を差し出す聖女の姿──なんと感動的で優美な一幕でしょうか。

1870年に造られた<柱のギャラリー>は、このミュゼ訪問の山場のひとつといえましょう。天窓から光の射すこの荘厳なギャラリーに一歩足を踏み入れれば、スタッコ製の柱に圧倒されるに違いありません。そして、ルイ14世(1638−1715)時代の大作の数々が、赤い壁によってその存在感を引き立てられているのです。
▲柱のギャラリー。
©RK le STUDIO
スルバラン《大天使ガブリエル》(1631−1632年頃)
▲スルバラン《大天使ガブリエル》(1631−1632年頃)
©musée Fabre, Montpellier Agglomération, cliché Frédéric Jaulmes
   
ファーブルが好んだこともあり、ヴィアン(1716−1809)とヴェルネ(1714−1789)をはじめとする新古典主義絵画の豊かなコレクションは、この美術館の特徴のひとつとなっています。その一枚、ダヴィッド(1748−1825)の≪アルフォンス・ルロワの肖像画≫(1783頃)では、シルクの部屋着をまとい、頭にはターバンを巻いた医師が仕事机に向う姿が静謐な筆致で描かれていて、とても印象的でした。

ミュゼのコレクションでは、彫刻もまた重要な地位を占めています。とりわけ、忘れがたいのは、半裸の少女の姿を刻んだウードン(1741−1828)の≪冬、または凍える女≫。少女の肉体の官能を表わすとは、ウードンはなんという革新的な芸術家だったのでしょうか。この作品は、今やこのミュゼを象徴する作品のひとつとなっています。
 
ウジェーヌ・ドラクロワ≪ブリュイヤスの肖像≫(1853年)
▲ウジェーヌ・ドラクロワ≪ブリュイヤスの肖像≫(1853年)
©musée Fabre, Montpellier
Agglomération, cliché Frédéric Jaulmes
順路を進んでいくと、ブリュイヤス・コレクションにたどり着きます。現在、企画展でも紹介されているクールベの作品群によって、ミュゼに近代性を与え、ファーブル美術館の名を世に知らしめたのは、このコレクションであるといっても過言ではありません。

このコレクションには、ロマン主義の巨匠ドラクロワ(1798−1863)の代表作が数点含まれていますが、なかでも注目すべきは≪ブリュイヤスの肖像≫(1853)でしょう。裕福な寄贈者ブリュイヤスは、ここでは、存在への不安にかられたような姿で表わされています。褐色の髪でひげを生やしたブリュイヤスの姿は、この他にもさまざまな展示室で見られます。彼は、自らが援助した芸術家たちに肖像を描いてもらうことを好んだのです。ドラクロワのもうひとつの傑作が、オリエンタリズムの絵画≪室内のアルジェの女たち≫(1849)。メランコリックな雰囲気に満ちたハーレムのなかで、東洋の女性たちの美しさが、色鮮やかな衣装とともに見事に表わされています。
   
いつもはクールベの作品が飾られた部屋では、現在、モンペリエの画家バジール(1841−1870)が紹介されています。印象派の台頭に立ち会いながらも、早すぎる死を遂げたこの画家を知るよい機会になりますから、是非、ご覧になってみてくださいね。彼は、モネ(1840−1926)やルノワール(1841−1919)の友人であり、彼らとアトリエを共有していたこともあるのです。≪キャステルノー=ル=レズの村の眺め≫(1868)は、ラングドック地方ならではの光あふれる風景を見事に表わした傑作といえましょう。木陰に腰を下ろす少女、背景の緑とコントラストをなす明るい色の洋服、まぶしく光り輝く太陽の光──。それは、バジールの目に映ったありのままの現実でした。

鑑賞を続けていくと、スーラージュのコレクションのために造られた全面ガラス張りの新しい棟に辿りつきます。画家スーラージュとモンペリエとの深い結びつきは、彼の学生時代に始まりました。1919年生まれの画家スーラージュは、モンペリエの美術学校に学び、そこで生涯の伴侶とも出会いました。以降、モンペリエの地をこよなく愛した彼は、その証しとして、2005年、ファーブル美術館に自らの絵画20点を寄贈し、12点を貸す出すことを決めたのです。
フレデリック・バジール≪キャステルノー=ル=レズの村の眺め≫(1868年)
▲フレデリック・バジール≪キャステルノー=ル=レズの村の眺め≫(1868年)
©musée Fabre, Montpellier Agglomération, cliché Frédéric Jaulmes
   
ピエール・スーラージュ《絵画》
▲ピエール・スーラージュ《絵画》
162 x 434cm 1971年5月27日  
©musée Fabre, Montpellier Agglomération, cliché
Frédéric Jaulmes
スーラージュがこのミュゼのために選んだ作品群をご覧になれば、光を探求してきた彼の芸術の変遷がよくお分かりいただけると思います。彼は、1979年を境に、芸術スタイルをがらりと変えています。スーラージュは、絵の具が受ける光を作品に組み込むようになるのです。キャンバス一面が黒く塗られていながら、その黒はもはや単なる黒ではない──なぜなら、その黒は変化しているのです。ガラス張りの壁から注ぎ込む光を受けた黒は輝きを放ちます。つまり、スーラージュの絵画では、黒は光となるのです。
1984年に東京の西武美術館、そしてポンピドーセンターで巡回展が開催され、2009年にも個展が予定されているスーラージュは、国際的にも知られたアーティストですが、ファーブル美術館の作品群は、その世界を堪能できる、他に類を見ないコレクションといえましょう。
 
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