続くセクションでは1874年の第1回印象派展を振り返っています。モネによる《昼食》と《キャプシーヌ大通り》は、当時《印象―日の出》とともに出品された作品です。ここでは展覧会目録や、シャリヴァリ紙の批評、モネ直筆の会計簿などの資料も併せて展示しています。1874年に《印象―日の出》を購入したのは、印象派の庇護者であった実業家のエルネスト・オシュデ(Ernest Hoschedé/1837-1891)。モネの会計簿には《印象―日の出》が800フランで売れたことが記されています。1878年、オシュデは経済的な理由で作品を手放しますが、競売の際《印象―日の出》はわずか210フランで売却されました。競売目録に「日の出」ではなく「夕日」と誤植された点も、同作品がさほど関心を持たれていなかったことを物語っています。オシュデからこの作品を購入したのは、オシュデと同様、印象派の庇護者であったジョルジュ・ド・ベリオ(George de Bellio/1828-1894)医師でした。
ベルト・モリゾ(Berthe Morisot/1841-1895)やピサロ(Camille Pissarro/1830-1903)など、ベリオ医師の印象派コレクションの展示の中に、ルノワール(Auguste Renoir/1841-1919)が描いた若い女性のポートレートを見つけることができます。それがコレクションを受け継いだベリオ医師の娘ヴィクトリーヌ(Victorine)です。《印象―日の出》は、このヴィクトリーヌに相続されたのちも、しばらくスポットライトを浴びることはありませんでした。反面、同コレクション内の《チュイルリー公園》や《ヨーロッパ橋、サン・ラザール駅》、《雪の中の列車》の3作品はモネの花形作品として注目され、貸し出しの依頼が頻繁に舞い込みます。1931年にヴィクトリーヌの提案で《印象―日の出》が展覧会へ貸し出されましたが、当時この作品に掛けられた保険の評価額は12万5,000フラン。上記3作品に比べると、半分ほどの価値しかありませんでした。
第二次世界大戦の戦火を避けるため、《印象―日の出》を含む同コレクションの一部は、ヴィクトリーヌの要請により、1939年にマルモッタン美術館の指揮のもとシャンボール城へと送られます。翌年の1940年にそれらのコレクションはマルモッタン美術館へと寄贈されました。マルモッタン所蔵の《印象―日の出》がその価値を飛躍的に高めたのは、戦後1950年代に入ってから。印象派の歴史をテーマにした本が複数出版され、印象派誕生のルーツを物語る作品として注目を浴びたのがきっかけでした。不遇の時代を経て《印象―日の出》は印象派の最も象徴的な絵画として不動の地位を確立します。1974年にパリのグラン・パレで開催された印象派の100年を記念した展覧会では、このモネの《印象―日の出》がカタログの表紙を飾ったのでした。
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Update : 2014.12.1 文・写真:増田葉子(Yoko Masuda)
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