長年、美術愛好家に親しまれてきたパリのロダン美術館本館のビロン館が、2015年11月12日に、3年間の改装を経て再びその扉を開きました。 今月のMMMの特集では、ロダン美術館のリニューアル・オープンを記念し、その歩みと新たな魅力をご紹介いたします。
18世紀に建築された貴族の館であるビロン館は、オーギュスト・ロダン(Auguste Rodin/1840-1917)がアトリエとする前は、カトリックの女子修道会である聖心会が所有していました。日本にもある聖心女学院の母体で、女子教育を行うキリスト教の団体です。ところが、1904年に、宗教団体による教育を禁止する法律が発布されたために、聖心会はフランスでの活動停止を余儀なくされ、ビロン館を後にします。売却するか廃棄処分にするか、国の方針が決まるのを待つ間、建物の1階はいくつかに小分けされ、若いアーティストたちにアトリエ兼住居として安く貸し出されました。その中にいたのが、ドイツ人彫刻家のクララ・ヴェストホフ(Clara Westhoff/1878-1954)でした。ヴェストホフは、ロダンの秘書だった詩人、ライナー・マリア・リルケ(Reiner Maria Rilke/1875-1926)の妻でした。リルケは、1908年8月31日に「私が今朝から住んでいるこの美しい建物を、ぜひ見にいらしてください」とロダンに手紙を書きます。 リルケの勧めに従ったロダンはすぐにビロン館が気に入り、訪問の数週間後に1階の数部屋を借りることにしました。
ロダンは、ビロン館をコレクターたちに作品を見せる応接室兼アトリエとして使い、毎日、パリ郊外のムードンの自宅から通っていました。1911年に国の所有になると、借間人は立ち退きを命じられましたが、政界や芸術界から支援を得られたロダンは立ち退きを免れました。個人美術館を造るのが夢だったロダンは、1916年、国に全作品を寄付します。第一次大戦のさなか、国会でロダンの寄付を受け入れること、そしてビロン館をロダン美術館にすることが決議されました。こうしてロダンの死の2年後、1919年8月4日に、ロダン美術館が開館したのです。
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戻すまでの改装についてご紹介します。>>
Update : 2016.2.1 文・写真 : 羽生のり子(Noriko Hanyu)
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