ミュルーズ・プリント生地博物館

2011年の年明けから連載を開始したMMFのご当地ミュゼ特集は、今月で最終回の第4回を迎えました。連載の最後を飾るのは、スイスとの国境に近いフランス東部の町、ミュルーズ(Mulhouse)のプリント生地博物館です。18世紀から20世紀にかけてのミュルーズにおける産業の発展のきっかけとなった、250年以上の歴史を持つプリント生地産業をクローズアップします。

「フランスのマンチェスター」の異名を持つ産業の町

▲壁面に描かれた絵画が珍しいミュルーズの旧市庁舎

 14世紀以来、アルザス南部のミュルーズは皇帝直属の「帝国自由都市」として自治を認められ発展してきました。約1,200mの城壁に囲まれた33haほどの地域に約700軒の家屋が密集するこの小さな“独立国家”で、染色産業が始まったのは、18世紀中頃のこと。染色産業の成功を機に、19世紀から20世紀にかけて、ミュルーズは産業の町へと大きく変貌していくことになります。染色産業が成功した数年後、この地は綿織物産業にも乗り出します。

▲市内に残る中世の城壁の一部であるボルヴェルク(Bollwerk)塔

 19世紀には、綿織物産業に機械が導入されたことによって、町は機械産業の中心地としても発展。さらに化学や壁紙など、さまざまな分野の産業が次々と興ると、いつしかミュルーズはイギリスの産業革命で中心的な役割を果たした都市に例えられ、「フランスのマンチェスター(Manchester)」と呼ばれるようになったのです。刺繍糸メーカーとして世界的に有名なD.M.C.(Dollfus-Mieg et Compagnie)や、蒸気機関車などの機械製造を行っていたS.A.C.M.(Société alsacienne de constructions mécaniques)は、ミュルーズで生まれた最も代表的な会社です。

▲ミュルーズの歴史博物館に展示されているD.M.C.の製品

 現在ミュルーズには、国立自動車博物館やフランス鉄道博物館、壁紙博物館など、産業をテーマとした博物館が多数存在します。3世紀にわたり躍進を遂げた「産業」を見どころとするミュルーズは、アルザス地方のほかの観光都市とはまた異なる魅力を持った町となっています。

ミュルーズのプリント生地産業の歴史

▲木版で刷られたコットンの花柄模様のスカーフ
(インド 1795年頃)
©Le Musée de l'Impression sur Étoffes

 ミュルーズのプリント生地産業の歴史は、この地の名家に生まれた4人の若者が最初のアトリエを構えた1746年にまでさかのぼります。当時のフランスでは、国内の織物産業を保護するため、インドからのプリント生地の輸入や国内でのプリント生地製造を禁止していましたが、独立した都市国家であったミュルーズはフランスの禁止令の影響を受けることはありませんでした。最初のアトリエが瞬く間に成功を収めると、新しい製造所が次々と現れます。1788年の時点では23ものプリント生地のアトリエが小さなミュルーズの町に開業していたといいます。

 1759年にはインド更紗の輸入禁止令が解かれたものの、1686年から70年以上続いた禁止令による空白期間によって、フランスのプリント生地産業は他国に大きな遅れをとっていました。そんな中、1789年のフランス革命を機にフランスに編入されたミュルーズは、革命後のフランスにおいてプリント生地産業を牽引する重要な役割を果たすことになります。

▲19世紀のローラー式の印刷機の細部 
©Le Musée de l'Impression sur Étoffes

 18世紀当時、ミュルーズには大きな工場はなく、既存の建物を利用した小規模の製造所が町の各所に点在していました。しかし、新しい印刷技術の採用や機械の導入が積極的に行われた19世紀から20世紀になると、巨大な工場が次々に郊外に建設され、ミュルーズのプリント生地の製造量は飛躍的に伸びていきます。そしてプリント生地産業はミュルーズ周辺のアルザスの地域にも波及し、やがてアルザスの代表産業のひとつに数えられることになりました。

Update : 2011.4.1
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ミュルーズ市はやわかり


  • オー=ラン
  • 人口
    113,135人(2009年現在)
  • 面積
    22.18 km2
  • アクセス
    パリ東駅からTGVで約3時間
  • 見どころ
    国立自動車博物館、フランス鉄道博物館、壁紙博物館
 

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