19世紀末から20世紀前半にかけて
アール・ヌーヴォー、アール・デコという、
二大美術様式の時代に活躍した
ルネ・ラリック(René Lalique/1860-1945)。
ジュエリーデザイナーとしてその才能を開花させ、
のちにガラス工芸家として大きな成功を収めたフランスの
偉大なアーティストです。そして2011年7月、ラリック社のガラス製造が今も行われているアルザス=ロレーヌ地方の町、ウィンゲン=シュル=モデ(Wingen-sur-Moder)に、待望のラリック美術館が開館しました。今月の特集では、ラリックの足跡とともに、アール・ヌーヴォーのジュエリーやアール・デコのガラス工芸が集うこのラリック美術館の見どころをご紹介します。

▲ルネ・ラリックの肖像
©Lalique SA

 ルネ・ラリックは1860年、シャンパーニュ地方のアイ(Ay)で生まれました。貴金属細工師のルイ・オーコック(Louis Aucoc/1850-1932)のもとに弟子入りをし、ジュエリーの世界へと初めて足を踏み入れたのは、父親の亡くなった1876年、16歳の年のことでした。以降パリやイギリスの美術学校で学び、1882年からフリーランスのデザイナーとして、宝飾業界でそのキャリアをスタートさせます。カルティエ(Cartier)をはじめとした数々の有名宝飾店でジュエリーのデザインを手掛けていたラリックは、1885年、宝飾店のひとつを買い取り、自身のアトリエを構えるに至りました。

▲ルネ・ラリック《クレオパトラのブローチ》1897〜1899年頃
©ADAGP 2011 Paris - Rami Solomon et Kineret Levy Studio - Coll.

 ラリックはそれまでジュエリーに多用されていた金や宝石などの貴重な素材とは対照的な、象牙や七宝といった安価な素材を積極的に取り入れ、革新的なデザイナーとして注目を浴びました。女性や自然をモチーフとしたラリックの前衛的なアール・ヌーヴォーのジュエリーは、初期の頃からエリートの知識人や芸術家の間で人気を博します。当時の有名女優サラ・ベルナール(Sarah Bernhardt/1844-1923)もラリックのジュエリーに魅了されたひとりでした。

▲サラ・ベルナールの肖像と彼女が身に着けたラリックのブローチ
©Lalique SA

 そして「アール・ヌーヴォーの祭典」の異名を持つ1900年のパリ万博では、ラリックの出展ブースは満場一致で高い評価を得ます。華やかな国際舞台でセンセーションを巻き起こしたラリックは、世界各国から注文を受ける売れっ子のジュエリーデザイナーとしてその地位を確立したのです。

ガラス工芸家への転身とアール・デコ様式の到来

▲ルネ・ラリック《蛇の花器》1924年
©Lalique SA

 ジュエリーデザイナーとして成功してからも、ラリックのクリエイターとしての好奇心は飽くことを知りませんでした。次第にその関心はガラスへと傾倒していき、ラリックは、ジュエリーデザイナーからガラス工芸家へと華麗な転身を遂げることとなります。
 ラリックが本格的にガラス工芸の道に入るきっかけとなったのは、香水商のフランソワ・コティ(François Coty/1874-1934)との出会いでした。1907年、コティはラリックに香水瓶のデザインを依頼。量産される製品にもかかわらず、芸術品の趣を放つラリックの香水瓶は大きな好評を得、これを機にラリックは自身のガラス作品の幅を広げていきました。そして1912年、ついにジュエリーデザイナーからガラス工芸家に転身することを決心したのです。

▲ラリックが手掛けたガラスのパネルによって装飾されたオリエント・エクスプレスの車内
©Lalique SA

 ラリックのガラス作品は、多色使いを避け、植物、動物、そして人物といった自然の描写を、独特のリズムで表現したシンプルで洗練されたものが中心でした。1900年前後に一世を風靡したアール・ヌーヴォー様式は早くも終わりを告げ、時代はアール・デコ様式へと移り変わっていました。そんな時代の潮流をも味方につけたラリックは、巨大噴水やオリエント・エクスプレスの車内装飾、さらに教会装飾とさまざまなガラス作品を手掛けます。ラリックのガラス工芸家としての才能はあらゆるシーンで花開き、人々を魅了したのでした。

Update : 2011.9.1
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フランス、アルザス地域圏、バ=ラン県に位置する人口約1,700人の小さな町。

 

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