トゥルーヴィルを愛したサヴィニャックとサヴィニャックを愛したトゥルーヴィル

▲現在も高級リゾート地として多くの人がヴァカンスを楽しむトゥルーヴィル
©Bab13 ©Ian Aspey

 レイモン・サヴィニャックが初めて海を見たのは12歳の時のこと。それは家族とヴァカンスで訪れた英仏海峡に面したノルマンディー地方トゥルーヴィル=シュル=メール(Trouville-sur-Mer)でのことでした。パリから北西へ約200kmの地に位置するトゥルーヴィルは、美しい景観を持つ保養地として、19世紀から大変な人気を集めていました。ブーダン(Eugène Boudin/1824-1898)やモネ(Claude Monet/1840-1926)などの画家をはじめ、デュマ(Alexandre Dumas/1802-1870)、フロベール(Gustave Flaubert/1821-1880)、プルースト(Marcel Proust/1871-1922)、デュラス(Marguerite Duras/1914-1996)などの文豪が愛した地でもあります。


 パリで生まれたサヴィニャックもまた、この町に魅了されたひとりでした。1940年に結婚したマルセル夫人とともに度々訪れ、しばらくはパリとトゥルーヴィルを行き来する生活が続きました。そして、72歳を迎える1979年からトゥルーヴィルに居を移すと、亡くなるまでの22年間をこの地で過ごしました。

▲トゥルーヴィルのアトリエでくつろぐサヴィニャック
©Ouest-France

 当時すでにフランスを代表する人気ポスター画家であったサヴィニャックを、トゥルーヴィル市民は喜んで迎えました。さまざまな歓迎イベントが開催され、市からは多くの仕事の依頼がサヴィニャックのもとに届くようになったのです。

 トゥルーヴィルに移り住んでから7年後の1986年には、サヴィニャック作品を集めた展覧会「ポスターの舞踏会 (Bal des Affiches)」がトゥルーヴィルのカジノで開催されます。さらに1993年、回顧展「トゥルーヴィルにおけるサヴィニャック(Savignac à Trouville)」が市立モンテベロ美術館(Musée Villa Montebello)で幕を開けると、館内には「サヴィニャックの間」が特設されました。

▲トゥルーヴィル市のロゴマーク
©Collection Musée Villa Montebello, Trouville-sur-Mer et Illustria

 そして同年、サヴィニャックの名がこの町に永遠に刻まれることになる仕事が舞い込みます。トゥルーヴィル市がサヴィニャックに市のロゴマークのデザインを依頼したのです。青と白だけを使ったシンプルなそのデザインは、市のシンボルでもある、透き通るような空と海のイメージを見事に表現したものでした。


 またサヴィニャックは公的機関の仕事だけでなく、地元の商店などからも次々に依頼を受け、約30点のポスターを仕上げました。こうした功績をたたえ、2001年、市は、19世紀後半にヴァカンスに訪れる上流階級の人々のために造られた砂浜の遊歩道(プランシュ/Planches)を、「サヴィニャック散歩道(Promenade Savignac)」と名付け、彼がこれまでに手掛けた多数のポスターで飾ることを決定します。

▲サヴィニャック散歩道
▲1960年代、19世紀後半に造られた遊歩道を歩くサヴィニャック夫妻
©Droits réservés

 その式典当日のこと。市は、車好きのサヴィニャックのために豪華なクラシックカーを用意し、式典に登場してもらうという演出を計画しました。まるで、サヴィニャックをこの町のシンボルとしてたたえるかのように――。サヴィニャックが大感激したのは、言うまでもありません。フランスが生んだポスターの巨匠サヴィニャックがこの町で94年の生涯を終えたのは、それから1年後のことでした。


 サヴィニャックの死後、トゥルーヴィル市は、彼の作品を町のあちこちに復元しました。住民たちのサヴィニャックを愛する思いは、町の景観に溶け込むようにある作品のひとつひとつからうかがい知ることができます。その死後も、トゥルーヴィル市にとって、そしてそこに暮らす人々にとって、サヴィニャックは誇りであり続けているのです。

Update : 2011.7.1
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