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モンパルナス散策 Montparnasse
  20世紀初頭、パリに集まった外国人芸術家たちの拠点となったモンパルナス。
シャガールやスーチン、キスリングをはじめ、パスキン、藤田嗣治ら
「エコール・ド・パリ」の芸術家たちは、セーヌ左岸のこの地を舞台に
短い青春を謳歌し、新しい芸術を生んだのです。
彼らがこよなく愛したアトリエやカフェの“今”を訪ねてみました。
©Andreas Licht
 
エコール・ド・パリ発祥の地、モンパルナス
▲アトリエ長屋「シテ・ファギエール」
©Andreas Licht
 エコール・ド・パリとは「パリ派」という意味で、20世紀初頭にパリにいた画家たちを呼ぶ総称です。特に有名なのが1910 年代からモンパルナスを中心に集った外国人芸術家たちでした。彼らはポピュラーになりすぎて物価が高くなったモンマルトルを離れ、より暮らしやすい場所を求めて、左岸のモンパルナスに移っていったのでした。ピカソも「洗濯船」を後にして左岸にやってきました。1913年にパリに渡った藤田嗣治は早速モンパルナスに落ち着きます。彼は「シテ・ファギエール」というアトリエ長屋に住み、ご近所にはモンマルトルから移ってきたモディリアーニやロシアからきた無骨なスーチン(Chaïm Soutine)などがいました。佐伯祐三もここにいたことがあります。
 またモンパルナスからは少し離れたところには「ラ・リュッシュ(蜂の巣)」というアトリエもありました。これは彫刻家のブーシェ(Alfred Boucher)が買った土地に1900年万博のワインのパヴィリオンを持ってきたもので、エッフェル(Gustave Effel)のスタッフによって建設されたものです。階段のある丸い建物の中に、放射線状に部屋が位置し、現在も23のアトリエがあります。
▲アトリエ「ラ・リュッシュ(蜂の巣)」
©Andreas Licht
▲モンパルナス美術館
©Andreas Licht
 ここにはシャガール(Marc Chagall)が住んでおり、レジェ(Fernand Léger)、ルソー、マティス(Henri Matisse)、キスリング(Moïse Kisling)、ブランクーシ(Constantin Brancusi)、ザッキン(Ossip Zadkine)、そして前出の3人も出入りしていました。現在、モンパルナス美術館になっている場所は、ロシアの画家マリー・ヴァシリエスのアトリエだったところで、彼女は第一次世界大戦が始まった直後の1915年から貧しい芸術家のために食堂を開きました。45人分の食事が用意され、65サンチームでスープとメインを食べることができました。このようにモンパルナスは世界中から集まったアーティストにとっては村のようなもので、お互いに助け合って研鑽していたのでした。
 
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新しい芸術創出の舞台となったカフェ
▲カフェ「ラ・ロトンド」
©Andreas Licht
 この頃、モンパルナスの中心はヴァヴァンの交差点でした。付近には有名ないくつかのカフェがありましたが、画家たちのひいきは「ラ・ロトンド(LA ROTONDE)」だったようです。1911年からこの地にあり、その賑わいはアポリネールが「ひと昔前のモンマルトルのようだ」と形容したほどでした。ここではモディリアーニが客の似顔絵を描き、スーチンがフランス語を学ぶためにカフェ・クレームを飲みながらフランス人との会話に精を出していました。また、藤田がある日赤い上着に首飾りで現れた、とカフェの記録は伝えています。この他にもピカソやシャガールなど、エコール・ド・パリのほとんどがこのカフェを利用したのでした。
 その近くの「ル・ドーム(LA DOME)」は20年代にアメリカ人が多く集ったカフェです。ヘミングウェイ(Ernest Hemingway)をはじめとして、ヘンリー・ミラー(Henry Miller)、フィッツジェラルド(Scott Fitzgerald)などが出入りしていました。写真家のマン・レイ(Man Ray)やそのモデルのキキもいました。「ル・セレクト(LE SELECT)」や少し離れた「ラ・クロズリー・ド・リラ(LA
CLOSERIE DES LILAS)」もよく利用されています。
▲カフェ「ル・ドーム」
©Andreas Licht
1927年に誕生した「ラ・クーポール(LA COUPOLE)」はアール・デコの装飾で有名ですが、32人のアーティストが内装に参加しています。またヴァヴァンの交差点から少し入ったところにある美術学校「アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエール(chaumière)」は1902年の創立で、外国人の学生も多く学びました。カルダー(Alexander Calder)、モディリアーニ、イサム・ノグチ、ジャコメッティ(Alberto Giacometti)、タマラ・ド・レンピッカ(Tamara de Lempicka)などがここに通っていました。
 
▲カフェ「ラ・クーポール」
©Andreas Licht
▲美術学校「アカデミー・ド・ラ・グランド・ショミエール」
©Andreas Licht
   
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Update: 2007.5 田中久美子(Kumiko TANAKA/文)/Andreas Licht(写真)
モンマルトル
1860年にパリしに編入。パリ南部、セーヌ左岸のリュクサンブール宮殿南側の地区。パリ14区に属する。19世紀末以降、多くの芸術家たちが暮らした。そのアトリエの多くは取り壊されたが、彼らゆかりのカフェが往時を偲ばせる。
ポンピドー・センター所蔵作品展 「異邦人たちのパリ1900〜2005」
国立新美術館のオープン記念展覧会。国内最大級規模、14,000m2の展示室に、ピカソやシャガール、モディリアーニ、藤田嗣治ら、20世紀初頭のパリに集まった外国人画家の絵画をはじめ、写真家ブラッサイやマン・レイの作品など、ポンピドー・センターが誇る所蔵品が結集する。
▲国立新美術館
所在地
 
2007.2.7-2007.5.7
会場
 
国立新美術館
所在地
 
東京都港区六本木7-22-2
Tel
 
展覧会に関するお問い合わせ
03-5777-8600(ハローダイヤル)
展覧会URL
 
http://www.asahi.com/
開館時間
 
10:00-18:00
※但し、金曜日は20:00まで
(入館は閉館の30 分前まで)
休館日
 
火曜日(但し5/1は開館)
観覧料
 
一般:1,500円
大学生:1000円
高校生:800円
中学生以下無料
▲アメデオ・モディリアーニ『デディーの肖像(オデット・ヘイデン)』
▲マン・レイ『黒と白』
   

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。