ポンピドー・センター 大解剖 ポンピドー・センター フロアマップ 異邦人画家が集った パリのカフェ ポンピドー・センター 館長インタビュー ポンピドー・センター 館長インタビュー
トップ モンマルトル モンマルトル サン・ジェルマン・デ・プレ
サン・ジェルマン・デ・プレ散策 St. Germain des Pre´s
  1930年代後半、モンパルナスに代わってパリの芸術の中心地となったのが
セーヌ左岸、サン・ジェルマン・デ・プレでした。
ソルボンヌ大学や国立美術学校、フランス学士院などが集まるこの地は、
今も多くの学生が闊歩する学生街。カフェに入れば、サルトルやボーヴォワール、
ブルトンらが哲学・芸術談義に花を咲かせた、往時の雰囲気がそこにあります。
©Andreas Licht
 
30年代後半に誕生した芸術の発信地
▲カフェ「レ・ドゥ・マゴ」
©Andreas Licht
 1930年代後半、文化人は賑やかなモンパルナスを避け、今度はサン・ジェルマン・デ・プレに集まるようになり、40年代になるとモンパルナスは影が薄くなります。第2次大戦が始まると外国人アーティストは祖国に帰ったり、生きやすい場所を求めて亡命したりするなどして、散り散りになっていきました。
 また、ドイツ占領軍が大挙してモンパルナスにやってきたことや、左岸の地下鉄が一部不通になり、ヴァヴァンの駅が閉鎖されたことも理由のひとつでした。
 そんななか、文筆家や哲学者などが「レ・ドゥ・マゴ(LES DEUX MAGOTS)」や「カフェ・ド・フロール(CAFE DE FLORE)」のカフェにたまり始めます。アンドレ・ブルトン(André Breton)がシュール・レアリストたちを集めて会合を開いていたのは「レ・ドゥ・マゴ」でした。
▲「カフェ・ド・フロール」
©Andreas Licht
▲国立美術学校(ボ・ザール)
©Andreas Licht
もしかしたらダリ(Salvador Dalí)やミロ(Joan Miró)もここを訪ねたことがあるかもしれません。実存主義をうたったサルトル(Jean-Paul Sartre)とボーヴォワール(Simone de Beauvoir)のカップルは「フロール」を書斎代わりに使っていました。近くには国立美術学校(ボザール)やアート雑誌の編集部などがあったことから、多くのアーティストもこの地区にやってきました。ピカソが後に恋人となるドラ・マール(Dora Maar)を紹介されたのは「レ・ドゥ・マゴ」です。また「ボ・ザール」の近くにあるカフェ「ラ・パレット(LA PALETTE)」にはその名の通り、多くの画学生が通いました。店内には彼らから贈られたと見られる古い絵があちこちに飾られています。
▲カフェ「ラ・パレット」
©Andreas Licht
トップへ モンマルトルへ モンパルナスへ
 
Update: 2007.5 田中久美子(Kumiko TANAKA/文)/Andreas Licht(写真)
サン・ジェルマン・デ・プレ
パリ6区、セーヌ左岸、サン・ジェルマン・デ・プレ教会を中心とする地区。戦後、サルトルら哲学者や文学者が付近のカフェに集ったことで知られ、出版社や書店も多い。現在は高級ブティックや若者向けのショップが立ち並ぶ。
ポンピドー・センター所蔵作品展 「異邦人たちのパリ1900〜2005」
国立新美術館のオープン記念展覧会。国内最大級規模、14,000m2の展示室に、ピカソやシャガール、モディリアーニ、藤田嗣治ら、20世紀初頭のパリに集まった外国人画家の絵画をはじめ、写真家ブラッサイやマン・レイの作品など、ポンピドー・センターが誇る所蔵品が結集する。
▲国立新美術館
所在地
 
2007.2.7-2007.5.7
会場
 
国立新美術館
所在地
 
東京都港区六本木7-22-2
Tel
 
展覧会に関するお問い合わせ
03-5777-8600(ハローダイヤル)
展覧会URL
 
http://www.asahi.com/
開館時間
 
10:00-18:00
※但し、金曜日は20:00まで
(入館は閉館の30 分前まで)
休館日
 
火曜日(但し5/1は開館)
観覧料
 
一般:1,500円
大学生:1000円
高校生:800円
中学生以下無料
▲アメデオ・モディリアーニ『デディーの肖像(オデット・ヘイデン)』
▲マン・レイ『黒と白』
   

*情報はMMMwebサイト更新時のものです。予告なく変更となる場合がございます。詳細は観光局ホームページ等でご確認いただくか、MMMにご来館の上おたずねください。