2011年、MMFwebサイトの特集は〈ご当地ミュゼ特集〉と題して、フランス各地の伝統産業を巡る連載で幕開けします。地域に根差した産業をテーマとする美術館・博物館のレポートを、1月から数回にわたってお届けしていきます。
初回はフランス北部の街、カレー(Calais)のレース産業を紹介する博物館、レース・モード国際センター(Cité internationale de la dentelle et de la mode de Calais)です。2009年の6月にオープンしたこのミュゼは、世界的にも有名なカレーのレース産業について、社会、歴史、経済、技術、そして芸術と、さまざまな視点から余すところなく語ってくれます。



フランスの北端に位置するカレーは英仏海峡に面した国境の港町で、古くは城塞の街として発展しました。現在では、1994年に開通した英仏海峡トンネルによって、イギリスとヨーロッパ大陸を繋ぐ街としても、その存在感を示しています。
19世紀より開花したカレーのレース産業は、イギリスとの国境にあるという地理条件が大きく影響しています。当時イギリスは、ノッティンガム(Nottingham)を中心に、機械技術の発達によるチュール*の製造がたいへん盛んでした。19世紀初頭、六角形の均一な編み目のチュールを機械製造できるのはイギリスだけでした。フランスでもそうしたイギリス製のチュールの需要が高まりますが、当時のフランスは対イギリス政策として保護貿易を行っていたため、イギリス製のチュールは密輸入というかたちでしかフランスに出回りませんでした。
機械工業の目ざましい発展とは裏腹に、市場の限られたイギリス製のチュールは瞬く間に生産過多に陥りました。こうした厳しい経済・社会背景の中、イギリスの製造者や職人たちはフランスへの移住を決断しました。リール(Lille)やルーアン (Rouen) など、すでにテキスタイル産業が盛んであった地域だけでなく、イギリスに近いという理由で、カレーの街もそうしたイギリスの製造者たちを引き寄せることになったのです。
カレーでのイギリス人によるチュールの製造は、1816年から始まります。しかし開始から間もなく、場所の不足や夜間の操業による騒音問題で製造者たちは立ち退きを余儀なくされ、工場はカレー郊外に位置するサン=ピエール(Saint-Pierre)へと移っていきました。その後1830年代から1840年代にかけて、パンチカードを使用したジャカール機*のシステムや蒸気を使用した機械の導入に伴い、機械生産のレースは黄金期を迎えます。サン=ピエールは半世紀も経たないうちにカレーをしのぐ人口を抱える都市に成長し、1885年にはカレーと合併しました。
レース・モード国際センターは、サン=ピエールの中心地にあった19世紀後半のレースの製造工場の建物を利用しています。1870年にふたりの投資家、ブラール(Boulart)兄弟によって建てられたこの運河沿いの工場は、多数のレース製造者が入る当時の典型的な共同製造工場でした。1902年には80台のレース編み機を持つ工場として繁盛し、2000年に閉鎖されるまで、1世紀以上にわたってレースの製造を行っていました。そして現在、赤と黄のレンガが特徴的なこのU字形の建物は、カレーのレース産業の歴史を語る博物館として、その扉を開いています。
ジャカール機* 一般にはジャカード機と呼ばれる。フランスの発明家、ジャカール(Joseph Marie Jacquard)が1801年頃に開発した紋織機。文様に合わせてたて糸を選択して引き上げる動作を、穴を開けたカードで制御するもので、絹織物産業に大変革をもたらした。
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- 県
ノール=パ・ドゥ・カレー - 人口
76,215人 - 面積
33.5 km2(葛飾区ほどの広さ) - アクセス
パリからTGVで約1時間半、ロンドンからユーロスターで約1時間、ブリュッセルから車で約2時間 - 見どころ
カレー美術館、ロダンの彫刻《カレーの市民》
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