2010.12.1(水)

エミール・ガレの光を求めて・・・。
今回は長野にある北澤美術館を訪問します。

長野県諏訪市。駅を降りて北澤美術館へ向かうと突然目の前が急に「抜けた」感じがして、ふと土手に上ってみるとそこは諏訪湖でした。地理的な情報がなくて目の前に突然大きな湖が現れ、しかも諏訪湖の周りにはいわゆる「砂浜」がないためにすぐ目の前が湖水なので余計に驚きました。まるで海のように壮大な諏訪湖。これが夏だったら足を浸してみるところなのですが、諏訪湖から吹く風はもう冬の温度です。

北澤美術館のすぐ前に広がる壮大な諏訪湖の景色。

そんな諏訪湖の前に位置する北澤美術館。北澤美術館はフランスのアール・ヌーヴォーガラスと日本画を収蔵する美術館で、本館ではエミール・ガレ(Émile Gallé)の名品と現代の日本画を常設展示しています。エントランスは十分な自然光が入り、とても明るい印象のエントランスに、学芸員の小林さんがお出迎えしてくれました。北澤美術館では、ボランティアの方も含め、常に作品を解説してくれる方が常駐していらっしゃるとのこと。ありがたいサービスですね。

創立者北澤利男氏の銅像がお出迎えしてくれます。

エミール・ガレ(1846-1904)はフランス東部、ナンシー(Nancy)生まれ。ご存知の方も多いと思いますが、ナンシー派の代表的な作家です。実家がガラス工芸店を営んでおり、彼はその跡をついだそうですが、実父が経営面で支えてくれたため、自分が好きな作品を創造できる恵まれた環境にいたのだそうです。写真でもわかるようになかなかの美男子です。(館内でもガレの顔写真を見て「あら、ハンサムね」というご婦人方の会話が聞こえていました。)

エミール・ガレの肖像写真

展示室に入ると、北澤美術館のシンボルとも言える「ひとよ茸ランプ」がまず最初に登場します。非常に幻想的で、しかも予想以上に大きくて驚きます。どこにでも生えるごくありふれた茸とお聞きしましたが、勿論フランスにも生えるきのこなのでしょう。一般的な「きのこ」の表現に対する日本とフランスの違いを若干感じましたが、やはりこの作品がもつ存在感には圧倒されます。「きのこは死んだ樹木を分解して土に帰し、新たな生命の母胎となる途上を準備するもの」、「死を通した復活」というテーマを晩年のガレが見事に具現化した傑作と称されています。確かに北澤美術館のシンボルマークの作品であるだけの見事なパワーを放っています。

ガレ晩年の傑作。《ひとよ茸ランプ》

そして中に入ると制作年代順に作品が展示されています。展示室の中はかなり照明を落とした状態なのですが、ガラスケースの中に置かれた作品だけがスポットライトの光に浮かび上がる展示手法を取っています。数々の作品を見ているうちに気がついたのですが、このライティングの仕方は、ガレの作品のように非常に細かい技巧が凝らしてあるものを見ることにとても適していることがわかります。余分な光、余分な反射がないので作品の技巧を注意深く鑑賞することができるのです。

学芸員の小林さんの丁寧な解説により作品に対する理解が格段に深まりました。
ガレ没後の工房作品《石楠花文ランプ》。
スポットライトにより浮かび上がるようです。

ガレの作品にはランプも多数登場します。これはフランスでの一般家庭への電気の普及という時代の大きな流れが、ガレのランプへの需要に見事につながったことが大きな理由でもあるのです。ガレは類まれなるガラス工芸家であると同時に非常に優れた実業家でもありました。自分が思い描くガラス作品を専門の職人を使って製造し、普及品の大量生産も実現していたのです。
下のデザイン画はそのようなガレの職人たちへの指示が見事にわかる一枚です。作品は《花器 松》いうガレが白血病で亡くなる1年前の作品ですが、こと細かにフランス語で指示がなされています。ガレの工房はもう実在しませんが、彼の死後25年以上も事業を続けられたのも、ガレが基礎を作り上げた製造システムが上手く維持され、ガレ本人のデザイン・センスが大切に尊重される体制が整っていたことによるのでしょう。

ガレの手元にあったデザイン画の複製。(原画はオルセー美術館所蔵)。土台の部分には「あまり赤すぎないように!」とフランス語で詳細な指示が書き込んであります。
左のデザイン画をもとにした《花器 松》。晩期の傑作です。

そしてガレといえば先ほども書いたように「ジャポニスム」について触れないわけにはいきません。ガレは当時の万国博覧会を通じてヨーロッパに紹介された日本の浮世絵や工芸品に親しみ、日本的な詩情豊かな作品を残すようになりました。また、当時日本政府から派遣されてナンシーの森林学校に留学していた高島得三(後の画家・高島北海)(1850-1931)との直接の交友もあったようです。その極めて日本的な詩情が、日本人がガレの作品を愛してやまない理由だとも言われています。ガレは「ナンシーに生まれた日本人」とまで呼ばれたそうですが、北澤美術館には、それがよく実感できる作品が多数あります。そもそも蝉やトンボなどの虫、そして花などをなぜ彼がモチーフとして多用したのか、それは「虫や花の限られた短い命、そしてその命はまた再生する」という輪廻転生を作品に表現しようとしたからです。これは説明するまでもない話かもしれませんが、ガレによって永遠の命を与えられた蝉やトンボが作品の中に生きているのですから。

ガレ作《蝉文花器》
ガレ作《蜻蛉文脚付杯》

展示室を見て回った後、少し2階のカフェで休憩。何気なく座った席は、実は長野を「私の作品を育ててくれた故郷」と言い、この地方を愛し続けた日本画家・東山魁夷氏(1908-1999)が座り、諏訪湖の景色を眺めた席だとお聞きしました。言われてみると確かに諏訪湖の景色を眺めるベストスポット。ここから眺める諏訪湖の夕日は格別だそうです。こういう何気ない出来事が美術館訪問の楽しみを増してくれたりするのですね。

東山魁夷氏がかつて座った席での諏訪湖一望がお勧めです。

ガラス製品などのミュージアムグッズのお買い物が楽しい、自然光あふれるエントランスホールの横には、図書コーナーがあります。ここではエミール・ガレに関する国内外の資料を自由に無料で閲覧することができます。ゆっくり諏訪湖を背に資料を眺めているといつの間にか時間が経ってしまう落ち着くスペース、見学で疲れた後はここでゆっくり作品について復習するのがおすすめです。

ガラス製の商品が人気のブティック。
ガレに関する書籍・資料が多数揃います。

最初にも触れましたが、この北澤美術館は、来館者に作品解説をしてくれるシステムをとっています。勿論自分ひとりで鑑賞されたい方はそのように鑑賞してかまわないのですが、インタラクティブで自分が好きなように情報を得ながら作品を鑑賞できる現代において、こうやってわからないことをお聞きしながら会話を通して作品に触れる、ということはとても贅沢でありがたく、そして訪問の深い思い出になるものだと北澤美術館で考えさせられた一日でした。

そして最後に、本当の偶然ですが、この取材の数日後に私の家の部屋に蝉が舞い込んできたのです。そして3日ほどバタバタしていましたが、こちらは虫かごもないうえに素手で捕まえることもできず、そのまま放っておいたところ、気がついたら数日後に死んでいました。こんなに夏を遠く過ぎてから蝉が舞い込んできたことにも驚きましたが、この取材の後に蝉が目の前で一生を終えたことが、今回のエミール・ガレの作品に触れたことと深い関係があるような気がして、今までであれば何も考えずに見過ごしたに違いない蝉の終末がこんなに印象強く残りました。

北澤美術館は冬季も開館しています。今冬まで会期が延長されることが決まった新館の「ルネ・ラリック展」にもまだ間に合います。また、あわせて12月4日から、普段は一堂に見る機会のないガレ、ドームの各品3点が新館で公開されることになりました。クリスマスの時期、今年の美術鑑賞を美しいガラス工芸で締めくくってはいかがでしょうか。

ガレとはまた異なるルネ・ラリックのガラスの世界を堪能できる展覧会です。好評につき期間が延長されましたので、この機会をお見逃しなく。
 
北澤美術館学芸員・小林さんからのコメント
「ガレの作品をはじめとするアール・ヌーヴォーのガラス工芸品には、自然界に宿る生命の鼓動が内包されているかのようなぬくもりを感じることができます。光を通して浮かび上がる色ガラスの層の重なりや、ガラス器に繊細、優美に表現された昆虫・植物の姿をぜひ間近でご鑑賞ください。本館では、特にエミール・ガレの傑作を多数展示しており、深い精神性をともなうガレのガラス芸術の真髄を体感できます。
展示室では、随時、解説員による作品解説を行っております。素材や技法、作品に込められたメッセージなどを理解することで新たな見方が得られ、お客様から大変喜ばれています。今後も来館者との対話を大切にしながら、作品の奥深い魅力を伝えていきたいです。」
 
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