2010.6.1(火)

東京の都心で出会えるパリの街並み、
「モーリス・ユトリロ展 − パリを愛した孤独な画家」

昨年パリで見逃した「ヴァラドン・ユトリロ」展に出展された作品が日本に上陸したと聞きつけて、スタッフTが早速、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館で開催中のユトリロの展覧会に行ってきました。
常に人が行き交い、賑わいを見せる新宿の駅。美術館を目指して地下道を歩いていけば、損保ジャパン本社ビルのすぐ近くの出口に到着。辺りにひしめき合う高層ビルの中でも、まるでスペースシャトルのような形がひときわ目立ちます。

損保ジャパン東郷青児美術館。
真下から見上げるビルは迫力満点!
新宿駅の地下道を抜けるとすぐ、美術館入り口があります。

日本人にも人気のある画家ユトリロ。今回の展覧会では、初上陸の絵画作品92点を紹介しています。2009年、パリのピナコテーク(Pinacothèque)で開催された「ヴァラドン・ユトリロ」展の作品も含まれているので、現地の展覧会を見逃した方は必見の展覧会です。

展示室へ向かう途中、ガラスの大窓から見る東京の街。
東京タワーや建設中のスカイツリーまで一望できます。

20世紀を代表するモーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo 1883-1955)は画家シュザンヌ・ヴァラドン(Suzanne Valadon 1865-1938)の息子としてパリのモンマルトルで生まれます。10代の頃からお酒を飲み始めたユトリロは、アルコール依存症の治療にと医師の勧めで21歳から絵を描き始めました。
本展は、「モンマニーの時代」、「白の時代」と「色彩の時代」の3つの時代に区分して、ユトリロの画業の変遷を紹介しています。

展示室への入り口。

実は、母親が絵描きだったにもかかわらず、彼女から絵を教わることも、また、美術学校へ通うこともなく、ユトリロは独学で絵画の道に進みました。
ユトリロが建物や通りを描くとき、定規のようなまっすぐな線を引くのは、絵の手ほどきを受けなかったからかも知れない、と説明してくれたのは学芸員の小林晶子さん。ユトリロ特有のかしいだ建物や、デフォルメした遠近感も、手探りで描いていたからというわけです。

ユトリロは何よりも教会や建物、路地などを好んで描きました。
人間をモデルにした作品を多く残した母ヴァラドンとはまるで対照的です。

館内全体を一通り眺めると、展示品のほとんどが小振りの作品であることに気づきます。早くからその才能を認められたユトリロは、絵を売ること、室内に飾ることを目的に作品を描いていました。小振りの絵が多いのは、そのためとも考えられます。

小林学芸員が注目する一枚!

第一次世界大戦の戦没者の白い慰霊碑と木々の緑を基調とした美しい作品です。
慰霊碑の前に立つ3人をよく見ると、喪服を着た女性の腰が強調されているのが分ります。実は、女性嫌いだったユトリロはまるで風刺画のように、わざと女性のお尻を大きく描いていたという説もあります。

《慰霊碑》1925年

街並み、建物や小路などを数多く描いたユトリロですが、アルコール中毒として有名だったため、外で描いていると「酔っ払いが絵を描いている」とたびたび冷やかされていました。そんな冷たい視線を避けるように画家は家にこもり、絵葉書や写真などを題材に制作していました。そういえば、ユトリロの作品の構図や視点には、どこか写真や絵葉書を連想させるものがあります。

《サン=リュスティック通り、モンマルトル》1948年頃
まるでスナップ写真をモチーフにしたような作品。
《雪のサン・ピエール広場とサクレ=クール寺院、モンマルトル》1948年頃
画家お気に入りの漆喰の白を基調とした一枚です。
好きな作品の前で、詩情と哀愁漂うかつてのパリの姿に思いを馳せます。

平日に出かけた美術館には、意外にも男性の姿が目立ちました。
美術館関係者の方に伺ったところ、他の企画展よりも男性の割合が多いようです。男性ファンも多いユトリロ展でした。

 
金曜日は8時まで開館しているので、夜景を楽しみながら美術館鑑賞ができます!展覧会は、7月4日(日)まで損保ジャパン東郷青児美術館にて開催しています。どうぞお見逃しなく。
 
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