2012.6.1(金)取材

アール・ヌーヴォー全盛のパリ、その時代を生きた
アルフォンス・ミュシャに出会う堺市「アルフォンス・ミュシャ館」。

堺市駅を出てすぐ、堺市立文化館の中にある「アルフォンス・ミュシャ館」

今回訪れたのは大阪府堺市にあるアルフォンス・ミュシャ館。案内してくれた学芸員の新谷式子(しんたに しきこ)さんが「ミュシャの作品はプラハでたくさん見ましたけど、日本にこんなに作品がある場所があるとは思いませんでした、というお客様がけっこういらっしゃいますよ」とおっしゃるように、ミュシャの油絵に始まり、アクセサリー、そしてリトグラフ、と多数のミュシャの作品に出会うことができます。現在は「デザイナーとしてのミュシャ」(7月8日まで)というテーマで、パリでデザイナーとして大活躍をした時代のミュシャの約80点の作品を時代の流れに添って見ることができる展示となっています。
そもそもこのミュシャ館は「カメラのドイ」、実業家・土居君雄氏が収集したミュシャのコレクションがご遺族の手を経て、かつて土居夫妻が新婚生活を過ごした堺市に寄贈されたことに始まります。土居氏は仕事で海外に行くたびにミュシャの作品を集めました。そして作品の収集をするうちにミュシャのご子息とも交流が深まり、日本ではそれまで「ムハ」、「ミューシャ」などさまざまな呼び方をされていたこの作家の名前の日本語表記を「ミュシャ」と決めたのも土居氏でした。そのさまざまな功績によって、会場にはチェコから土居氏に贈られた勲章も展示されています。

故郷の衣裳に身を包んだアルフォンス・ミュシャ
土居氏がチェコから贈られた勲章

アルフォンス・ミュシャ(アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alphonse Maria Mucha, 1860−1939)は、オーストリア帝国領下のモラヴィア(現在のチェコ共和国)に生まれました。古典的で精神的な絵画を描く芸術家を目指してパリへと渡り、アカデミー・ジュリアンにも入学しますが、当初はフランス語が全くできなかったために周囲にもなじめず孤独を感じることもあったようです。

〈主の祈り〉1899年
精神的な作品を描くことに憧れていたミュシャは宗教的色合いの強い作品も多数残しています。ミュシャが入会していたフリーメーソンの影響が感じられると言われています。

そのような決して明るいとは言えなかった時代から、挿絵画家を経て、徐々に世の中に認められ、そしてポスターの意匠で大成功を収め、アール・ヌーヴォーの代表的存在と言われるまでになります。「ミュシャはアール・ヌーヴォーの先駆者と言われることも多いのですが、そうではなくてアール・ヌーヴォーの最盛期に、世の中で流行っているものをうまく自分の作品に取り込んで成功していった人物なのです」という新谷さん。「売れそうなもの」、「クライアントに喜ばれそうなもの」を察知して、そのビジネスセンスに天性のデザインセンスの素晴らしさを活かすことで、どんどん広告の世界で仕事を獲得していったのです。現在の言葉で表現するならば「クリエイティブディレクター」といったところでしょうか。

〈ウェイヴァリー自転車〉1897年
自転車メーカーの広告もミュシャの手にかかると、このようなデザインに。
〈メディア〉1898年
女優サラ・ベルナールの舞台宣伝用ポスター。この時代はこの用紙サイズが最大サイズの定型版でした。

ミュシャといえば女優サラ・ベルナールの舞台宣伝ポスターで日の目を見たことでよく知られていますが、彼女がミュシャのポスターを気に入った理由も一目瞭然です。もう50代になり、若さがやや遠のき、身体の線が気になる年代になったサラ・ベルナールをも、ミュシャは大変若く、ほっそりとした姿で描き続けたからなのです。
そのようにクライアントの心をつかみ仕事も抱えきれないほどにどんどん増えていってしまったために、ミュシャは半ばノイローゼ気味になるほど悩んでいたと言います。私生活では1人だけフランス人の恋人の存在が知られており、彼女と別れた後、チェコ人女性と遅い結婚をしたという以外、あまり記録も叙述も残っていないために私生活と人物像はかなりの謎に包まれているようです。「ミュシャには決定的な記録に欠けるところが多いため、研究が難しい作家なのかもしれません」という新谷さんの言葉が示すように、作品を見終わった時にはその作品の中に描かれている女性の眼差しのように、何か謎めいたものを感じずにはいられませんでした。

〈装飾資料集〉1902年
ミュシャのグラフィックデザインの美しさが際立ちます。装飾デザインに携わる当時の人々の間で教本として使用されたそうです。

「アンケートには、癒されました、というコメントを書かれる来館者が多いです」と新谷さんがおっしゃるように、現代人にとってのミュシャは「癒し」でもあるのかもしれません。
「伝統」と「革新」、「祖国チェコ」と「成功の地フランス」、常に二つの間で揺れたミュシャの作品をじっくりと見ることができる場所です。

〈ハーモニー〉1908年
大型の油彩で、教会のステンドグラスとして依頼されたものです。このプロジェクト自体は途中で打ち切られたものの、完成までミュシャが描き続けた作品です。
展示室を出たところには「塗ってみよう、描いてみよう」のコーナーがあります。自分ならではの「ミュシャ作品」を作ってみてはいかがですか。
 
学芸員:新谷さんからのコメント
当館では年に3回ミュシャについての企画展を開催し、堺市が所蔵する約500点のミュシャ作品のなかから選んだ約80点を常時展示しています。故土居君雄氏が収集したミュシャ・コレクションを堺市が所蔵していることは残念ながらあまり知られていませんが、これは本市出身の歌人与謝野晶子が活躍した雑誌『明星』の挿絵のなかに、ミュシャの作品を写したものがあることに因みます。是非、併設する与謝野晶子文芸館と併せてお立ち寄りください。
 
 
堺市アルフォンス・ミュシャ館
http://mucha.sakai-bunshin.com/
 

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